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医学生へのメッセージ

希望の家療育病院

希望の家外観写真地域医療体験セミナー in 群馬

 平成27年8月31日、群馬大学医学部女子学生3名と男子学生1名の計4名が当施設見学のため来院した。
 桐生厚生総合病院見学の一環としての重症心身障害児者施設の見学で、当日午後3時来訪、約90分間の見学であった。1年生の3名は医学部入学5か月で医学教育は未だほとんど受けていない状態、4年生は臨床医学の講義が始まったばかりと想像され、それだけに重症心身障害児(者)を目の当たりにして驚いたことと思われる。しかし医師の仕事は障害のない正常児(者)の病気を治して帰すという日常的な仕事の他に、厚生病院の見学で、重い疾患で生死をさまよう患者の治療があり、更に寝返りもできず、呼吸や食事も介護職員の手や器具を必要とし、重い知的障害で言語もわからず、両親の識別もできない状態で何年間も施設に入所している方々を前にし、このような患者さんもいることも知って驚きと感動を受けたのではないかと思う。
 先日、日本人の梶田隆章氏が今年度のノーベル物理学賞受賞が広く伝えられたが、それと上記の重症心身障害者の命(いのち)と守られるべき重さを比べたとき、両者は等しいのである。これが医学における命に対する評価であることは医師を志す者は教育の初期の段階から知らされるべきである。教育をする側もこの点を今回の見学においてしっかりと自覚すべきであるが、その役の一端を担った自分としてはこの点如何であったかを反省するとき、この精神が学生にどの程度伝わったかは甚だ心もとない。
 いずれの命においても、その重さはおなじであっても、その能力においては質、量ともに千差万別で、そのどれを誰に与えるかは人力でいかんともし難いものがあり、神の領域が関わると言わざるを得ない。つまり、一人一人の持つ能力は神から与えられたものであり、人間はそれを精一杯自分のため、広くは人類全体、世界全体に役立つよう努力すべきであるが、与えられた能力について量や質において嘆いたり、恨んだりしたくなることもある。しかし努力を続けながらも、与えられた能力を受け入れ、自分がそれを精一杯活用しながら生きることができる素晴らしさに感謝していきたい。 

院長: 町田 裕一

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