療育センター きぼう
皆さんが医学・医療を志した理由はいろいろあると思います。
医療には重要な両輪が必要であると考えます。病気を学問的にとらえ診断治療すること、さらにその医学的知識を活用して患者さんの体だけでなく心も癒すこと、の両輪です。
さて「希望の家」は1976年5月に認可され、2年後の1978年4月に「療育病院」が竣工しました。全国には134箇所の重症心身障害児施設がありますが、現在その多くは、「療育センター」の名称で呼ばれています。希望の家療育病院も2018年4月から「療育センター きぼう」と名称変更しました。「病院」と名乗ると、いわゆる「総合病院」と間違われたりしますし、多機能を持っている「希望の家」としては、「療育センター きぼう」のほうがふさわしいと考えたからです。
ここで「希望の家」全体の紹介をしますと、病床はショートステイ8床を含んで140床ですが、病棟以外にいろいろな施設があります。北関東アレルギー研究所は2008年に開設されました。また重症心身障害児者デイケア、訪問看護ステーション、発達・相談支援センター、障害者デイケアがあります。発達障害児(者)が数多く受診され、療育と外来リハビリを受けています。また同じ敷地内には、児童心理治療施設「青い鳥ぐんま」や特別養護老人ホーム「のぞみの苑」等があります。「青い鳥ぐんま」は2006年7月に竣工し、主に発達障害児や被虐待児童などが入所して、医師・看護師・心理士・社会福祉士等が協力し、小中学校の分教室が併設され学校教諭の教育を受けながら、毎年約30名が暮らしています。
希望の家全体から創立者である矢野亨(とおる)矢野ヨシ先生ご夫妻の「障害児者への配慮」と「弱い人たちへの愛」を感じ取れます。地域を含めた障害児者に対する活動も活発に行われており、世界的バイオリン奏者の五嶋みどりさんが、後輩3人を伴って、弦楽4重奏を演奏してくれたり、別の日には日本古来の雅楽の演奏も聴くことができました。耳が聞こえないと思われていた入所者も、そのとたんに顔がほころび、眼を輝かせているのがはっきりと解かり、感激の一瞬でした。病棟ではいつも声をあげるだけでしゃべれないと思っていた入所者が、優しい看護師さんの一言「○○さんコーラ買いに行く?」で、即座にしっかり「ハイ!」と答えてくれて、びっくりしたりします。また自分のことではなく、同じ入所者が困っている時にそれを解決して欲しいと、ジェスチャーで職員に伝えるやさしい入所者もいます。
こんな経験もしました。仙台で開かれた第43回日本重症心身障害学会会場で、ストレッチャー型車椅子上の28歳の詩人大越桂さんが、歩けず発声もできない中でわずかに動く上肢を使い、お母さんの手に指文字で私たちへのメッセージを書きました。お母さんはそれを即座に同時通訳してくださり、「会場全体が暖かい海の底のように感じます。皆さんがよく私のことを聴いてくれていることがよくわかります」、「思いやりが丸くなってつながるといいな。私たちが思いやられるだけでなく、思えるようになるといいな」、最後には「人生は楽しい、味わい尽くそう!」と教えてくれました。彼女は障害とは関係なく、本当に真の偉大な詩人です。
重心施設にいると、障害のある方に接する機会がない方は思いもよらないでしょうが、彼らが実に多彩な感受性を秘めていることをいつも教えられ、驚きと喜びに出会えます。若い方々、ぜひ医学・医療の世界に参加してください。多くの喜びが待ち構えています。皆さんにお会いできるのを楽しみに待っています。